自然豊かな安芸太田町で「まる屋助産院」を営む、助産師の小野誉里子さん。
助産師以外にもネット配信やイベントの司会など、街にいたら回ってこなかった役目を「自分にできることはやりたい」と、安芸太田町の活性化の活動にも精力的に取り組む物語。
映像コンテンツ(YouTube)
安芸太田町で助産院を開業した小野誉里子さん。
病院勤務ではなかなかできなかった産後ケアにしっかり取り組みたいと思い開業。
「どこで暮らしても自分は自分、自分らしく生きていたい」と語ります。
安芸太田町で助産院を開業した小野誉里子さんは、助産師以外のことでも活躍しています。
ネット配信の撮影やイベントの司会など、街にいたら回ってこなかった役目が回ってきます。
「自分にできることはやって、安芸太田町を盛り上げたい」と語ります。
暮らしのてまひま
プロフィール:助産師 小野 誉里子さん
安芸太田町で「まる屋助産院」を営む。母親学級・妊婦指導(産前ケア)、母乳育児相談(産後ケア)、育児相談、食事・生活相談など、女性の健康にかかわる相談に対応。性教育授業にも取り組む。安芸芸太田町の活性化の活動にも精力的。
広島市内から車で約1時間、目の前には川が流れ背景にはつらなる山、そして玄関先には雪かき用のスコップ。自然豊かな安芸太田町を訪ねたのは「まる屋助産院」を営む助産師の小野 誉里子(よりこ)さんにお会いするため。小野さんが助産師になったきっかけは「地平線を見るため」、あきおおたラジオでカメラマン、時にはお茶を点てたり。さまざまな姿を持つ忙しい小野さんに、今を楽しみ、夢をかなえるヒントを聞きました。
世界は広島か、それ以外か。広島にはないもの求めて海外へ
小さい頃から、何事も広島を基準に考える癖があったそう。大阪の繁華街を見て広島よりも少し大きい町だな、とか、高いビルを見ても広島の●●ホテルよりも高いなとか。
見える世界がすべて広島の延長にあるような感覚があり、「広島にないものをみたい!」と思いついたのが砂漠や地平線。
「それなら海外にいくしかない」となり、「海外に行くなら手に職が必要!」と、看護師を目指します。
小野さんのお母様が看護師だった影響も大きいそうです。
海外での看護師の役割を調べてみると国によっては分娩介助に入ることもあり、助産師資格も必要、衛生管理や家族計画を指導する保健師の資格も必要と3つを取得。
看護師、助産師として日本で働きながらも海外に行きたいという思いが消えることはなく、海外協力隊で保健師としてバングラデシュに赴任します。2年の任務を終えて帰国後、本格的に助産師をしようと総合病院で働き始めました。
うれしそうだけど不安そうな姿を見て助産院を開業
日本で助産師として働き始め、それまで当たり前だと思っていたことに衝撃を受けます。
「バングラデシュの生活では、お母さんがおっぱいをあげている姿を至るところで見かけますし、大家族なので兄弟を抱っこして遊ぶのも当たり前、赤ちゃんとの接し方が自然と身についています。でも、日本は違う」。
日本では出産後、4、5日の入院の間に抱き方や授乳や沐浴、母子の健康管理などの指導を受けます。
「初めて赤ちゃんを抱くお母さんが多い中で、4、5日で学んだことを頼りにこれからの長い月日を過ごしていくことになります。お母さんは嬉しそうだけど、とても不安そう。お母さんたちの力になりたい!」。
この思いが、助産師小野さんの原点となりました。
2013年、安芸太田町で訪問型助産院「まる屋助産院」を開業。
安芸太田町で開業したのは、おじいさんの家があり開業のための住所を借りようとしたことから。
そして、実は広島市内に通いやすいから。広島市中心部までは車で1時間程度です。
現在の活動は、産前産後ケア、子育て支援、自力整体と多岐にわたります。
広島県助産師会会員として広島市の産後ケアを請け負ったり新生児訪問指導をしたりしています。
性教育講師として安芸太田町の中学校を始め、県内あちこちでお話をしています。
講演のテーマは妊娠出産子育て全般のお話を始め、予期しない妊娠、性感染症、LGBTのことなど幅広く、お話をする相手に合わせて必要な情報を届けています。
一生懸命やったこと無駄じゃない、すべてが今につながる
当初は広島市内と安芸太田町を半々の生活だったそうですが、気が付くと安芸太田町の住人に。
町役場を訪れた際に安芸太田町の情報を住民たち紹介する生配信番組「あきおおたラジオ」を知ります。
ゲストとして行ったはずが気付くとカメラスタッフをすることに。月1回の活動も10年目となります。
ほかにも、ファシリテーションを勉強するために参加したグループで「あきおおたの楽しい100人」プロジェクトに参加。
安芸太田町で暮らしている人、活躍している人に活動について話してもらう会で、小野さんは司会を担当。
地域での役がどんどん増えています。安芸太田町で毎日暮らすうちに、住民としての役目が回って来たり、「助産師さんだから」「助産師さんだけど」とさまざまな声がかかるようになりました。
「何に忙しいのか分からなくなると、自分のペースで動けなかったり、やりたいことができなくて、前に進んでいく人を見て焦ることがあります。
でも、その時に一生懸命やったこと無駄にはならないと思うんです。
私自身のことを振り返ってみても、バングラデシュでもっと母子の幸せに根本的にかかわりたいと思った経験や反省が今の活動の力になっています」。
こうした経験や安芸太田町での人との出会いが、子育て相談のアドバイスにつながることも多いそうです。
「いろんなことを頼まれて、自分で自分の首を絞めているように思うときもあるけど、流れに乗っていたら思いもよらないところに連れて行ってくれるんです。数年先に何をしているか分からないし、それが楽しみです」
小野さんのてまひま
最近は、お茶のことで忙しいそう。
10年前から茶道を習っていて、先生から声掛けで安芸太田町の歴史ある日本庭園「吉水園」でお茶を点てることになりました。
「忙しいけどこうしてお茶を点てたり、ごはんをつくって、今日も頑張ったなぁと思いながらビールを飲む。安芸太田町での暮らしは、どこで暮らしても自分は自分、自分らしく生きていきたいという気持ちに気づかせてくれました」
小野さんにお茶を点てていたただきました。
シャカシャカと響く音を聞きながら、小野さんのこれからについて質問。
「性教育に力を入れていきたいです。最近、不妊で悩んでいる人が増えています。10代の頃から正しい知識を知って、選択肢を持ってほしい。選ぶ力も必要です。早くしっていれば人生設計が違っていたかもしれない。人生を終えるとき、楽しかったなぁと思えるようなお手伝いがしたい」と語ってくれました。
目の前の雄大な山々を眺めながら、お茶を一服。今日一日の出来事を思い出しながら、小野さんに会えたこと、お話を聞けたこと、安芸太田町にこれたこと、そして今おいしいお茶をいただけていること。
今日できたことがたくさんあったことに気づき、その充実感で心もおなかも満たされました。