個性的なデザインで「派手めの脇役」を創り出す、陶芸家の吉野瞬さん。
テキスタイルのような豊かな柄の作品で、一日が楽しく始められるお手伝いする物語です。
映像コンテンツ(YouTube)
広島市内にアトリエを構える、陶芸家の吉野瞬さん。
陶芸家でありながら改装も手掛け、働く人の気持ちが高揚する空間づくりをプロデュースしています。
「陶芸で暮らしの豊かに楽しくするお手伝いをしたい」と語られます。
広島市内にアトリエを構える、陶芸家の吉野瞬さん。
島の感じやイベントのオーナーさんの人柄などをイメージして器を作り、その器で食事を楽しんでもらうイベントを開催している。
「器で食や暮らしをより豊かにしたい」と語られます。
暮らしのてまひま
陶芸家 吉野 瞬さん
1986年、広島市生まれ。ものづくりが好きだったことから、広島市立基町高校創造表現コースに進学。卒業直後の2004年春から、栃木県益子焼の佐久間藤太郎窯、四代目佐久間藤也に師事し、2012年に独立。因島で9年の制作活動を経て、現在は広島市西区にアトリエを構える。最近は、空間プロデュースや改装も手掛ける。
しましまや水玉、水色に黒と食卓ではあまり見たことのない組み合わせ。陶芸家の吉野瞬さんの食器が並ぶと、空間が一気ににぎやかになります。
ただ楽しいだけでなく、模様が滑り止めになっているなど使いやすさも成立させていて、一つひとつのつじつまが合っていて気持ちのいい作品なのです。
「激しめの脇役」と表現する作品を見たくて、それを作る吉野さんに会いたくて、広島市内のアトリエを訪ねました。
テキスタイルのような豊かな柄、使いやすいための理由がある
「どうぞ」と出された湯飲みは横から見るとひし形で、きゅっと絞ったかのような飲み口から湯気が立ち上っています。
初めて見る湯飲みの形に興味津々。両手で抱えると、手の平から温かさが伝わってきます。
お話を聞きながら、気が付くとしましま模様の凹凸を触っていました。そういえば、中のお茶がいつまでも温かい…。
「ふと買ったものだけど、滑りにくいし飲み口が狭いからお茶が冷めにくい、だからよく使っているんだなぁと気づけるような、違和感なくずっと使えるものを作りたいと思っています。どんなにかっこよくても、水がもれるコップは使ってはもらえないですよね」
吉野さんの作品には、必ず柄が入っています。
一つひとつ手描きで、色も大きさも太さも位置も様々で一つとして同じものはありません。
まるでテキスタイルを見ているかのよう。
「こんな食器が朝食に出てきたら、一日がすごく楽しく始められる気がするんですよね」。
使うのが楽しくなる「派手めの脇役」は、ある程度のルール、制限の中で、個性を発揮しています。
陶芸家に会うため翌日に萩へ、卒業直後に益子へ
サッカー少年だった吉野さん。ものづくりも好きで、中学では美術の授業がとても楽しかったそうです。
広島市の基町高校創造表現コースを目指すことを決め、サッカーの練習後に美術の先生からデッサンの指導を受けながら見事合格。
美術の中で何をするかを考えたとき、伝統工芸に興味があり広島は萩焼の山口や備前焼の岡山に近く焼物に触れやすい環境があることから、陶芸のある工芸コースを選択しました。
日常で使えるものを作る陶芸家を目指そうと決めたものの、陶芸家になる方法も分からず、大学進学する目的も見つけられなかったそう。
まずは、「近くにいる一番すごい陶芸家に会いに行こう!」と思いついた翌日、一人で山口県の萩へ向かいました。
アルバイトの給料を前借して電車代を用意し、夏休みでも冬休みでもない普通の日に。
萩にある窯元を次々と訪ね、著名な12代三輪休雪氏をアポなしで訪問。
そこで見た姿は、吉野さんがイメージしていた陶芸家とは全く違っていました。
現代アートのような作品に、お手伝いさん付きの大豪邸の暮らし。
「自分が考えたことを自分の手で作り、それで生活していくなんてかっこいい」と生き方に感動。
高校を卒業した翌月4月には、栃木県の益子焼の窯元に。
益子焼は民芸のうつわで知られ、人間国宝もいて若手作家も多い多様性を受け入れる産地。
300ほどある窯元から、歴史ある4代目佐久間藤也氏に師事しました。
18歳から26歳の修行の8年間は、「本当に厳しかった」と振り返ります。
住み込みで働きながら数万円の給料をもらい、親方や兄弟子を見て覚えます。
初めてろくろを触らせてもらったのは、なんと3年目。7年目にして親方から独立の許しが出て、それから1年は卒業個展にむけて創作に没頭。
それまでに作りたいものの形、柄、色のレシピは試し済みだったので、一般的な個展に必要な300点をはるかに超える1200点を制作。
益子でのお披露目会と、吉野さん応援して送り出してくれた人への恩返しに広島で初個展を実施しました。
吉野さんの決断力と行動力のもとは、「一つのことやり始めると、他のことが考えられなくなって、夢中になる」という癖とのこと。
そしてもう一つは、「益子を選んだもう一つの理由は、広島から一番遠かったから。つらくてもそう簡単には戻れないから」と話すように、強い覚悟を持って新しい道に進むこと、ではないかと感じました。
世の中にだまされない、自分をだましたくない
まずは、アトリエを因島に構えます。
そのころに作っていたのは、今よりもっとカラフルで元気な作品。
作品の青は海、緑は山を連想させ「瀬戸内の陶芸家」と呼ばれるようになり、注目も集めました。
しかし「環境に左右されて過ぎている。このままでは、その場所でしかやっていけない作家になる。因島の瀬戸内の作家だから作りそうなものではなく、自分だから作る、もっと内なるものを表現したい」と、アトリエを広島市内のあるビルの地下に移しました。
都会という環境はたくさん刺激がありますが、だからこそ気配を消しやすく刺激を遮断できます。自分の内面にどっぷりと向き合えると言います。
今のアトリエには、吉野さんの作品と、旅で集めたものが散りばめられています。
天井のカラフルなファンはイタリアで手に入れて、また欲しくなって再び訪れて2個目が天井に。
扉には捨てられていた真鍮の取っ手、友人にお金を貸したお礼に届いたデッサン画。
この空間にいると、吉野さんの器を見ているときのように、好きという気持ちに自信を持つ楽しさを感じさせてくれます。
「人がつまらないと思うことでも、やり続けることで見てもらえるものになると思うんです。とにかく進んでいくことで、たくましくなれます」
吉野さんのてまひま
最近の個展では、おうち時間を少しでも豊かにしてもらいたいと、一輪挿しの花瓶を100個並べました。
それぞれ色も柄も形も異なります。「1つの柄で100個よりも、100柄の100個の方が壮観だし、見た時に楽しいでしょ!」と笑います。
ですが、制作中はとても苦しかったようです。このストライプはもう描いたかもしれない、ありそうなものや売れそうなもの、流行に偏ったものになっていないだろうかという自問自答。
自分の内側をのぞいて、何もないところから生まれてくるものに目を凝らします。
「こんなんでいいかと、自分の頭をだましたくない。こんなの面白いでしょ!と問い続けていきたいんです」。
作品の一つひとつは、吉野さんからやっと絞り出した一滴なのだと感じました。
吉野さんに教えてもらった暮らしのてまひまは、「しんどいことこそ楽しむ」でした。